葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :前栽農家の一日

 下千葉町には、古くから「下千葉に嫁に行くか、裸でバラ背負うか」という言葉があった。「裸でバラを背負う」という言い回しからは、前栽場が連なる東京近郊の農村でも他のムラよりも労働が厳しいという印象を持たれていたことがうかがわれる。「下千葉は細かな野菜が多い」とも言われる。「細かな野菜」という意味は、栽培期間が短いことを意味している。その様子を表して「ジャガイモ
を植えたと思ったら、まだ芽も出てないうちにその頭の方をひっくり返して小松菜を播いてる」というように、市場で高値が出そうな作物を念頭に置きながら次々と準備をしていた。
 その下千葉町の代表的な農作物は小カブとツマモノ野菜である。葛飾区内には小カブの名産地が多く、有名な金町小カブが考案された金町をはじめ、「曼荼羅の小カブが出回り始めたらもう小カブは市場に出すな」といわれたほど高品質なものを生産した鎌倉町、(鎌倉町は、かつては曼荼羅という別称で呼ばれていた)非常に古くから小カブ作りが盛んであった上平井町などがあるが、下千葉町はこれらのムラと肩を並べる小カブの名産地であった。
 ツマモノ野菜とは、料亭料理などの膳の飾りとして添えられる野菜である。下千葉町で作られていたのはメジソ、ホジソや細根大根などである。品質の高い野菜を各農家は競い合って都心の市場に出していた。
 以下の話は、昭和14(1939)年に田場所である現在の埼玉県三郷市早稲田から下千葉へ嫁に来た人の話をもとに昭和25(1950)年頃の暮らしをまとめたものである。