葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :【天地返し】

 9月になると、山東菜、二年子大根や細根大根など、冬に収穫する作物の種まきが始まる。
 畑での収穫作業が一段落し、空いている畑が多くなると、畑の地力を高めるために「天地返し」という作業をした。鋤の刃1段分を掘り上げて、さらにもう1段掘って畑の上の土と下の土を入れ替える作業である。これは小さな畑を使って1年間様々な作物を作るために欠かせない作業であった。天地返しは大変な重労働で、通常は若い男の仕事であった。下千葉町では9月の夜に行うことが多かった。日中はまだ暑いので、天地返しのような重労働をすると体に応えたからである。土の入れ替えが終わると畑一面に下肥をかけておく。これが元肥となってさらに地力を高めると考えられていた。天地返しの時期は、集落によって生産暦が違うので春に行う場所もあり、冬に行う場所もあった。
 10月上旬からは順次稲刈りが行われる。稲刈りは田植えと違って一斉に行うのではなく、品種によって時期がまちまちなので、人を雇うことはせず家族で行うことが多かった。稲刈りと脱穀調整作業が11月中旬くらいまで続いた。
 11月に入るとしめ飾り作りが始まる。しめ飾りはまとまった現金収入になるので、ほとんどの農家で作っていた。下千葉町は湿田が多く、ミトラズの生育に適していた。「小玉」と呼ばれる玉飾りを専門に作る家が多かった。