葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :【ツマモノ野菜の出荷】

 12月から1月にかけて下千葉町の名産である細根大根の収穫が始まる。細根大根は髪洗い大根とも称される小さな細い大根で、いわゆるツマモノ野菜であった。千住のツマモノをあつかう専門の青物問屋に出荷された。料理の飾りとして使われる大根なので、折れたり傷が目立ったりすると売り物にならなかった。そのため、収穫の際には竹で作った専門のヘラでひとつひとつ掘り出していた。
 冬の畑は土が凍てついていることがあった。そんなときは、鍋に湯を沸かして畑に運んで土に掛けながら掘った。掘り出した細根大根は土間で干しておいて翌朝出荷する。出荷する直前に籠詰めしないと赤くなってしまうので、朝3時に市場へ向けて出発するために午前1時頃から横櫃と呼ばれる長さ40㎝くらいの籠にきれいに並べる作業をした。
 このように大変手の掛かる作物であったが、値段は安定していて、春先に出荷する小カブの5倍くらいの収入があった。1年中作ることができたが、最盛期は年末から藪入り(住み込みの奉公人が実家に帰省できた休日)である1月15日までであった。 
 同じくツマモノ野菜であるメジソを作っている家は下千葉町に4、5軒あった。メジソは1月中旬に種を播き、芽が出たらわらで囲いを作る。このわら囲いは、日中には取り除いて日がよく当たるようにする。夜には再度わら囲いをするという手の掛かる作物であった。出荷するときは菜刀という刃物で根を切りそろえ、自転車の荷台に乗せて出荷する。市場では茶碗に入れて数量をはかるので、なるべく量を多く見せるために、手ですぐってふわふわとさせて出荷した。
 葛飾区内のムラでは、これまで下千葉町で見てきたような野菜の生育と出荷のサイクルをそれぞれのムラで得意とする野菜の最盛期に合わせて持っていた。市場へ出して現金を得るために力を入れて作る野菜と、そうでない野菜がはっきりしていて、下千葉町ではネギや京菜などを出荷する家は少なかった。下千葉町で作った京菜は、みずみずしさに乏しく枯れ葉のようなものが多かったことから「下千葉の京菜は、そばでたばこを吸っていると火がついちゃう」などとからかわれるこ
ともあったという。
 農作業の最盛期はムラによって様々である。例えばネギを主力で作る新宿町や金町の農家では、青果市場が年末の休みに入る12月28日までネギの出荷作業が忙しく、年が明けて1月2日には市場で初荷があるので元日の夕方にはネギの収穫作業を行っていた。市場が休みの年末年始でも仲買人から「荷が足りないから頼むよ」と言われて出荷することもあった。正月の雑煮ものんびりと食べることなどなく慌ただしく過ごしたという。

細根大根
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