葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :名題山

 市場の側でも品質の高い作物を作る農家に自分の所へ荷を出荷してもらえるように努めていて、日頃から職員を生産地に派遣していた。これを「山回り」と呼んでいた。「山」とは生産地もしくは生産者のことである。
 生産者のことは「荷主」とも呼んでおり、それぞれの市場には常連の荷主がいた。青果市場ではできるだけ腕の良い荷主を確保して、野菜の旬の時期に良い野菜を売ることができるように、山回りをこまめに行うことを心掛けていた。
 昭和20年代に水元小合町付近を山まわりして歩いた千住の青果市場の職員の話によると、山回りの仕事は、それぞれの家の畑を見て、青々として良い作物を作っている所を見つけては「うちの店に荷を出してくれませんか」と声を掛けることであった。良い野菜を作る家や、そのムラの有力者に声を掛けると、引かれるようにそのムラの腕の良い農家が荷を出してくれることが多かった。農家の人たちと信頼関係を築くためにその家の孫が何歳でいつ学校に入るなどということも頭に入れ、時には贈答品も届けた。
 特に市場での評価が高い生産農家は歌舞伎の名題役者になぞらえて「名題山」と呼ばれていた。1、2度良いものを出しても名題山とはいわれない。安定した品質をその作物の出荷時期を通じて保っていることが必要であるが、いったん名題山という評価を得ると、ヤリサキのときに「この人の荷なら間違いない」といって、荷の中身を見ないで高い値段が付けられることもしばしばであった。また名題山という評価を得ると、ヤリサキに掛けずに引き荷といって、力のある仲買人が自分のものにしてしまうこともあった。引き荷された作物は、高級料亭に納めるので値段も良かった。また、名題山の荷主が野菜の出荷によって財を成したことを「オカマをおこした」といった。