葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :【午前2時に市場へ出発】

 下千葉町では、名産品の小カブは4月上旬から収穫が始まり、4月15日頃が最盛期であった。畑の仕事は家族が中心で、大きな農家では「ワカイシ」と呼ばれた住み込みの雇用者を二人ほど雇っていた。
 市場に小カブを出荷する日は、午前2時前には起きる。野菜の出荷には通常リヤカーを使った。昭和初期には大八車を使っており、昭和20年代には牛車を使う家が増加してきた。
 リヤカーには小カブを満載した専用の籠を乗せていく。若い夫婦がリヤカーを引いていく場合、男は籠3つ、女は2つの籠を乗せていった。家の名前が入った提灯を提げ、暗闇を照らしながら歩いていく。
 橋の架かっている場所は坂になっているため、一人で上がるのは無理であった。夫婦で出荷に行った場合は、お互いに荷を押し合って橋を越えた。
 このころ、下千葉の人たちが小カブを出荷する市場は、足立区の千住市場が多かった。千住市場まではリヤカーを引いて約3時間かかった。当時、千住の他、神田、築地、江東、新宿などの市場があった。戦前の市場は青果問屋の集合体であり、各農家はそれぞれなじみ深い青果問屋に野菜を持って行って競売をしてもらい、現金にしていた。
 都心の市場に出す野菜は、高品質でなくては見劣りがする。市場に並べたときに、見栄えの良いきれいな野菜を作ることが要求された。もちろんおいしいことも重要であった。そのため、一流の青果問屋へ通う農家は、種を吟味して肥料をたっぷりと使い、様々な創意工夫をしながら品質の高い野菜を各農家が競い合って作っていた。

小カブを市場に出荷するときのまとめ方 (昭和40〔1965〕年頃、金町〔現東金町〕)
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小カブの出荷の準備(昭和35〔1960〕年頃、下千葉町〔現東堀切〕)
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