葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :【田植えのころ】

 田植えの準備のために、苗代の床作りを4月下旬に行い、田んぼに肥料を入れておく。5月10日頃には小カブの出荷が終了するので、本格的に田植えの準備を始め、6月に入るとすぐに田植えを行った。
 また、下千葉町には糸三つ葉を作る家が多く、5月17、18日に行われる浅草の三社祭 を目当てに市場に出していた。お祭りのごちそうに糸三つ葉のおひたしを食べる人が多いので、市場で高く売れたという。
 種をまくとき、除草や中耕の頃合い、出荷の時期など、日にち単位での生産プランが農家の頭の中にあった。それは都会の消費者がその野菜をどういうときにどうやって食べるのかをいつも念頭に入れて作ったものだった。
 小カブや糸三つ葉が初夏に出荷の最盛期を迎える下千葉町の農家では、田植えをしている時間も惜しく、田んぼは全く人まかせという家もあった。こうしたときに頼りにされていたのがヒヨートリと呼ばれる人たちであった。ヒヨートリの多くは田場所である埼玉県八潮市、三郷市や吉川市などからやってきた。これらの地域は早稲米が主力でもあり、田植えの時期がずれていた。また、ヒヨートリに出ることによって得られる現金収入は田場所の人たちにとって貴重なものであり、自分の家の田んぼ仕事が終わると競って前栽場にやってきた。田場所の人たちにとって、都市に近く、生活様式にも町の香りがする前栽場の農村の文化は新鮮であった。「葛西(現葛飾区・江戸川区などの総称)に田植えの手伝いに行くとコロッケやカレーライスなどがお昼に出ることが楽しみであった」と語る人がいた。