葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第2節 低地で暮らす

■池の多い土地 :

 葛飾区は、標高が低く、池や湿地などが多い土地であった。古くから伝えられる地名にも、谷原(現東水元)、宇田利(現金町)、土腐(現金町)など湿地を表すものがみられる。明治13(1880)年から作成された近代的な地形図である迅速測図を見ると、当時の葛飾区域には水田が多いことがわかる。これらの水田は米作りの場であることはもちろんであるが、低地独特の水の溜まりやすさを利用して、稲作の他にも蓮根など湿地に適した作物の栽培に利用される所も少なくなかった。また、各所に池やヨシ原なども点在していて、人々の暮らしに関わっていた。