葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■前栽場の暮らし :

 葛飾区の農家は江戸時代から野菜作りに力を注ぎ、東京の市場でも高い評価を得ていた。集約的な農地で様々なものを作ることが特色で、一年を通じて忙しく働いていた。こうした農村を東京近郊の農家や青果市場関係者は「前栽場」と呼んでいる。前栽とは野菜を示す言葉であり、前栽場とは「野菜の産地」というくらいの意味である。
 葛飾区の近隣の江戸川区や、東京西郊の練馬区や板橋区も東京近郊の前栽場として、それぞれの地域の伝統野菜を作っていた。葛飾区や江戸川区など東京東郊の前栽場を「葛西」、板橋区や練馬区など西郊の農村を「西山」と呼んでいた。
 これに対して、水田稲作を中心とした農業を行っている所を「田場所」と呼んでいた。田場所では、畑で野菜を作ることはあるが自家用が中心で、出荷する野菜は限られている。葛飾区に隣接する埼玉県三郷市や吉川市、八潮市などは、昭和初期には依然として田場所であり、稲作を中心とした農業を行っていた。
 昭和20年代までは、前栽場である東京23区内の農村と周辺の田場所では農作業の時間の流れが違っていて、それぞれ特色ある農業生産が行われていた。