葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第4節 地域の移り変わり

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 明治時代初期の葛飾区域の人口は1万人程度であり、この人たちのほとんどは農業に従事しているか、それに関連する生業を営む人たちであった。本章に掲載された生業や祭りなどの民俗文化は、ほとんどがこうした農業を営む人たちが親から子へと受け継いできたものである。
 しかし、関東大震災以後は東京の都心部から人々が移住するようになり、区域の人口は急激に増加した。その結果、区内にはさまざまな地方の出身者が混在するようになった。
 立石や四つ木など人口の増加が著しかった地域では、人々の生業も様々になった。京成電鉄、総武線や常磐線などが整備され、都心に通勤することが容易になったこともその傾向に拍車を掛けていった。現在の葛飾区は44万人を超える人たちが住んでいるが、明治以降に移住してきた人たちの中にも、既に3代、4代という世代を経ている家族もいる。

亀有香取神社の祭礼(平成27〔2015〕年)
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