葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第2節 東京市葛飾区の誕生

■葛飾と下肥 :綾瀬作業場のその後と現在

 屎尿処理を深刻な都市問題としてどう解決するかの糸口として期待された「綾瀬作業所」も、昭和17(1942)年頃には燃料不足や戦況の悪化に伴い屎尿処理は休止に追い込まれた。戦時中は屎尿用の肥桶を作る施設として使用されていたが、戦後になると「綾瀬清掃研究所」に名が変わり、その時々に社会問題となった廃棄物処理の研究所として昭和50年代まで存在していた。現在は「東京都小菅水再生センター」に姿を変え、下水処理施設として稼働している。
 綾瀬作業所ならびに綾瀬清掃研究所で調査研究されていた屎尿処理の技術は、現在の下水処理方法である「浮遊生物法注釈2」などに生かされている。




注釈2:下水中に、小さな微生物の塊を生じさせて、それにより有機物を分解する方法。