葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第2節 東京市葛飾区の誕生

■葛飾と下肥 :東京市における下肥の運搬及び処理方法

 都市部からあふれかえってしまった屎尿の多くは、受け入れ可能な地域が拡大していったため、より都市から離れた場所に大量に運ばなければならなくなった。このころになると、当時敷設された列車による屎尿輸送も併せて行われるようになった。記録によると、大正10(1921)年には東武東 上 線、昭和初期には東武伊勢崎線、東京西部では西武鉄道でも屎尿輸送が行われるようになったのである。
 千葉県などでは、東京市が取り仕切っていた下肥を一時的にため込むための糞尿池の建設計画に伴って、農村地域の住民とトラブルになる例も見られた。その他、昭和12(1937)年からは屎尿を東京湾に廃棄する海洋投棄も行われるようになった。