葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾の名所と行楽地 :菖蒲園の繁栄とその後

 明治維新を迎えると、明治4(1871)年に武蔵園がドイツへ、明治10(1877)年には小高園がアメリカへ花菖蒲株の輸出を始めた。明治20年代には、曳舟川沿いの藤棚の茶屋として有名であった吉野園、次いで堀切園が開園、後期には観花園が加わって小高・武蔵・吉野・堀切・観花の5園が並び立つ全盛期を迎えた。吉野園は明治43(1910)年にロンドン日英博覧会で名誉賞、大正4(1915)年にはサンフランシスコ・パナマ太平洋万国博覧会で金賞を受賞している。しかし前年に起こった第1次世界大戦のため、ヨーロッパへの輸出は大きく落ち込んだ。昭和5(1930)年に日本花菖蒲協会が設立されるが、堀切付近では都市化が進み、水質汚染などで栽培に悪影響が出てきた。昭和8(1933)年に小高園は文部省から「名勝小高園」として指定を受ける。しかし、戦時下の影響で菖蒲田は水田化を余儀なくされ、小高園・吉野園・堀切園が相次いで閉園、江戸時代以来の伝統に幕が下ろされた。第2次世界大戦後、唯一復興を果たした礒貝家の堀切園が、江戸の伝統を現在に伝えている。

堀切地区菖蒲園の年表
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昭和22(1947)年の米軍空中写真に見る旧菖蒲園の推定位置
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