葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾の名所と行楽地 :観光花菖蒲園の誕生

 堀切の花菖蒲は次第に江戸の人々にも有名になり、多くの文人・墨客が訪れた。嘉永7(1854)年に田安家の家臣であった蜂屋茂橘は、堀切村の花戸(植木屋)である伊左衛門と勘蔵の家に立ち寄っている。伊左衛門は小高園、勘蔵は武蔵園の祖で、江戸時代末期の花菖蒲の名所として知られていた。小高家には嘉永年間(1848-54)には12代将軍徳川家慶・家定父子が鷹狩りの休憩の際に立ち寄りまた、尾張藩主徳川斉荘からは「日本一菖蒲」「艸花」の画讃が贈られた。
 一躍脚光を浴びた堀切の花菖蒲は、初代歌川広重をはじめとする多くの絵師に描かれた。
 「絵本江戸土産」には「毎年卯月下院より皐月に至りて、遠きを厭ハす舟に乗り、箯に駕して、都下の美女競ふときハ、いつれか花と見紛ふはかり、水陸の遊観なり」と曳舟と花菖蒲の景観が読まれている。

名所木母寺 堀切花菖蒲(団扇絵)(嘉永6〔1853〕年、歌川国英作)
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堀切花菖蒲(明治12〔1879〕年、小林清親作)
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美人堀切の遊覧(明治27〔1894〕年、楊斎延一作)
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