葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾の名所と行楽地 :葛西領の流行神

 一時的に大はやりする神仏を、流行神という。飯塚村の夕顔観音は寛文8(1668)年、名主関口氏が夢のお告げで松の根本から掘り出した観世音菩薩を、元禄 15(1702)年に、堂に安置したことに始まる。万能薬を求めて参拝者が増え、江戸の浅草観音などで開帳される流行神となった。享保 17(1732)年刊行の『江戸砂子温故名跡志』には、元禄15(1702)年の春から秋にかけて、村の長が売る「夢想の良薬」を求め、江戸はもとより諸国からも多くの人々が集まったという。新宿の本道のみならず脇道や畦道まで人が行く様子が「蟻道のごとし」と表現されている。

夕顔観音堂(『江戸名所図会』)
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夕顔観音(『新編武蔵風土記稿』)
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銅造懸仏 1面(夕顔観音)(葛飾区指定有形文化財)

夕顔観音堂は、明治18(1885)年に廃堂となり、銅造懸仏は明治26(1893)年に西水元にある安福寺に移された。
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