葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾と水② 船橋と曳舟 :近世の船橋

 「船橋」とは「舟橋」とも書き、舟を並べてつなぎ、板を渡して造る仮設の浮き橋である。徳川幕府は、軍事的理由と舟運の発展のため、河川への架橋を規制したが、将軍の通行に際しては特例が認められた。江戸城から出かける御成の中で、日光社参には利根川に、小金原鹿狩りには江戸川に船橋が架けられた。東海道筋では、将軍の上洛や朝鮮通信使の通行に、美濃路や富士・相模川などにも船橋が架けられた。なお、常設の船橋には、神通川の越中船橋(富山県富山市)、北上川の南部船橋(岩手県盛岡市)、九頭竜川の越前船橋(福井県福井市)などがある。