葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■明治維新後の変遷 :小菅県の時代

 慶応4(1868)年4月11日の江戸城の開城後、5月12日に新政府軍は江戸市中の町奉行支配地に江戸府を置いた。江戸府は、7月17日、東京府に改称している。一方、旧幕府領で代官佐々井半十郎の支配地であった葛西領は、7月10日に武蔵知県事の所管となり、初めに桑山圭助、12月から河瀬秀治の統治を受けた。明治2(1869)年1月13日に河瀬の管轄区域が小菅県となる。小菅県という地名になった理由は、旧幕府の官有地であった「小菅御囲内」であったことが大きく、県庁は旧代官所内に置かれた。
 小菅県下に所属した町村は、現在の東京、千葉、埼玉の各都県にわたる旧幕府領・旗本領など355町村(武蔵国豊島郡12、足立郡112、葛飾郡147、埼玉郡33、下総国葛飾郡51)であった。