葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■古代の葛飾における災害 :古代における地震被害と対策

 平安時代には平安京周辺を中心とした地震の記録が多く現れるが、地方でも地震発生の報告が相次いでいた。下総国に被害をもたらしたと推定される地震には、弘仁9(818)年に発生したものがある。この地震は、下総国以外にも相模・武蔵・常陸・上野・下野の諸国と現在の関東地方の広範囲に被害を及ぼしたとみられ、山が崩れて谷が埋まった地域が広範囲にわたり、圧死した人が多数いたと記されている。朝廷は地震発生から1ヶ月後に関東諸国へ使者を派遣し、国司とともに被害状況を確認したうえで、対策として正税を使って賑恤が行われ、家屋の修理を補助し、弘仁9(818)年の租・調を免除することなどを決定した。この地震は特に上野国の国境付近での被害が甚大であった。何度もこの地震に関する詔が出されていることから、朝廷でも被害の重大さを把握していたとみられる。同じく弘仁9(818)年9月の詔で、全国の国分寺で金剛般若波羅蜜 経注釈1の転読と、全国から報告されていた前年以前の未納分の租税を免除することを命じていることからも、朝廷はこの地震の発生に対して相当の危機感を持っていたと考えられる。
 下総国が具体的に地震を受けたとあるのはこの弘仁9(818)年の地震だけであるが、貞観11(869)年に発生した貞観地震や、その9年後に発生した元慶2(878)年の相模国と武蔵国を中心に関東地方の諸国に被害を及ぼした元慶地震でも、下総国が被害を受けていた可能性はある。




注釈1:生きるうえでの様々なとらわれを取り去り、常に清い心であるようにと説いた経典。