葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■古代の葛飾における災害 :飛鳥・奈良時代の災害への備え

 古代国家は防災のための規定も令に取り入れていた。賦役令の義倉条 には、食料対策として、凶作に備えてすべての人々から毎年一定量の粟を供出させ、各地の倉に貯蔵する義倉の制度が規定されていた。この義倉によって貯蔵された粟は、飢饉などの際に地方政府による賑給に使用された。
 営繕令注釈1の近大水条には、海や大きな河川にある堤防の管理と修理に関する規定が定められている。国司や郡司が堤防を定期的に検査し、修理が必要な場合は稲の収穫の時期が終わる秋を待って、堤防の近くに居住する人に修理を行わせ、それでも不足する場合は順次遠隔地の人を動員した。堤防が決壊した場合は、時期に関わらず修理を行い、緊急の場合は軍団の兵士も修理に動員することになっていた。さらに、営繕令の堤内外条には、堤防の内外と上に楡や柳など様々な樹木を植えて、堤防の強度を補強するとともに、堤防工事の資材にそれらの樹木を伐採して充てることを規定した。下総国では鬼怒川の河川付け替えを伴う堤防などの造営事業が行われたが、現在の葛飾区が属していた古代の葛飾郡域でも大小の河川が多く、このような水害を防ぐための治水事業が行われていた可能性は高いと考えられる。

現在までに確認された下総国分寺・国分尼寺の諸施設
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注釈1:令の編目の一つで、官が行う土木や製造などを規定する。