葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■人々の祈願と信仰 :富士講

 富士講は富士山を信仰の対象とする講中で、江戸時代や江戸の町を中心に大変流行した。葛飾区内にも明治時代から昭和にかけて水元猿町、水元小合町、金町、鎌倉町、本田立石町や下小松町などに富士講があり、現在でも「飯塚の富士講」が活動している。
 富士塚と呼ばれる富士山を模した塚を構築することも行われた。葛飾区内には水元猿町、水元飯塚町、本田立石町、金町、上小松町などに富士塚が作られた。富士講の活動の内容は、定期的に各ムラで拝み行事を行うことと代表者による富士山への登拝などである。富士山への登拝のときは御師が経営する宿坊に宿泊した。現在活動する飯塚の富士講は、埼玉県草加市瀬崎、千葉県松戸市小山や江戸川区篠崎など7つの富士塚を巡拝する「七富士参り」を行っている。

飯塚の富士講の祭壇

飯塚の富士講は葛飾区指定無形民俗文化財。(昭和62〔1987〕年)
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