葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■際物作り :しめ飾り作り

 家庭の神棚や店舗の玄関先に正月の縁起物として飾られるしめ飾りは、かつては葛飾区など東京東郊の農家が生産し、歳末に行われる歳の市に出荷していた。しめ飾りは作るムラと作らないムラとがはっきりしていて、水元猿町、水元小合町、金町、柴又町、新宿町、上平井町などは作り手がなく、逆に亀有町、青戸町、本田宝木塚町、鎌倉町や下小松町などでは非常に盛んに行われていた。また、「青戸りんぼうに亀有じょうわ」と称されるように、小さいしめ飾りを得意とするムラ、「下小松の尺玉」「宝木塚の三尺〆」などと称されるように大きなものを得意とするムラがあった。それぞれのムラで定評のある製品は本場物と呼ばれ、他のムラの同じものよりも高く売れたという。
 しめ飾り作りは11月から12月上旬にかけて行われていた。作られたしめ飾りは12月15日に浅草寺境内で行われる観音市を皮切りに、神田、芝、両国などで行われる際物の市に出荷された注釈2。大正時代は各農家がそれぞれ出荷していたが、次第にトロヤと呼ばれる仲買人に荷をまとめて売るようになった。
 しめ飾り作りはまとまった現金収入になったので、しめ飾りを作っていたムラでは11月を過ぎると皆家の中で作業を行うため「外を通っているのは犬ばかり」と称されるほどであった。昭和の初期には、生産過剰になることを防ぐために組合を作り、生産者の数を制限したり製作できる期間を決めたこともあった。

しめ飾りを作る(昭和63〔1988〕年、青戸)
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