葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■際物作り :ほおずき作り

 葛飾区内には7月9日、10日に浅草寺境内で行われるほおずき市にほおずきを出荷する農家が多かった。『武江年表』によると、ほおずき市は幕末の文化年間(1804〜1818)に雷よけの縁起物の赤いトウモロコシを売る市として始まったとされている。明治時代にはほおずきを売る市として定着した。
 葛飾区でほおずき作りが始まった時代ははっきりしないが、多くの人たちが行うようになったのは、昭和初期に足立区千住から上千葉町に移転してきた植木商が近所の農家にほおずき作りを教えたのがきっかけだったといわれている。昭和20年代に最盛期を迎え、上千葉町、奥戸本町、奥戸新町、青戸町などに30軒を超える生産者がいて「ほおずき生産組合」を結成していた。
 ほおずき市で売れ行きが良かった年は大きな現金収入になり、「1年の半分の収入をほおずき市で稼ぐ」ような人も現れるほどであったが、ほおずき市の時期は雨が多かったので、大雨になってほおずき市に人が出ない年は大変な赤字を抱える危険もあった。
 生産するほおずきの種類は千成りほおずきと丹波ほおずきの2種類があり、3月20日頃新しいほおずきの芽を植木鉢に移植し、7月9日のほおずき市に花がつくように育成した注釈1

ほおずきの畑(昭和63〔1988〕年、奥戸)
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注釈1:内田幸彦 「文献に見る江戸の際物の変遷」(『江戸年中行事と際物』 葛飾区郷土と天文の博物館 平成7〔1995〕年所収)。