葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第2節 低地で暮らす

■暮らしの工夫 :泥の利用

 用水路や池の土を浚い、肥料として農業に利用することがあった。上平井町ではシロウリの苗床としてツチヨウカンと呼ばれるものを作った。これは川の縁や池、田んぼなどに堆積した泥を集め、桶の中に2日ほど入れておいて表面を固くし、ものさしを当てながら包丁で1㎝四方くらいに切り分け、そのひとつひとつに種をまいたものである。そのツチヨウカンを集めて表面に細かい土を全体に掛けておくと1週間ほどで発芽するので、それを畑に移植する。こうした方法をドブセと呼んでいた。
 泥を肥料として使っていたことは明治30年代の新宿町の生活様式を記録した『東京府南葛飾郡新宿町農事調査』にも用水路の底の土を田んぼの肥料として用いることが書かれている。山林が乏しく、堆肥にするため腐熟させる材料が乏しい地域の生活の知恵といえる。泥を肥料として用いる具体的な方法は聞き取り調査では確認できないが、明治時代までは存在していた農法のようだ。