葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾と水③葛西用水とふたつの溜井 :宝永の利根川洪水と後期葛西用水

 宝永元(1704)年8月1日に、利根川の上川俣(埼玉県羽生市)が破堤し、洪水流は7月3日に江戸に達した。中島用水は、上流部の権現堂川筋が砂で埋まり、江戸川からの取水ができなくなった。葛西領でも、亀有溜井の北の締切堤である猿ヶ又が切れて古利根川の水流が入るようになり、下方の新宿の締切堤だけで水を保たせている状態であった。用水不足に難渋した葛西用水組合に属する松伏・二郷半・新方・八条 ・谷古田・淵江領の村々は、幸手用水から取水する変更願を再三出している。

享保14(1729)年以降の近世葛西領用水体系
戻る時は右上の×をクリックしてください