葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾と水② 船橋と曳舟 :小金原鹿狩りと船橋

 将軍が官牧である小金原(千葉県松戸市)で行う狩りを御鹿狩という。鹿狩りは8代将軍徳川吉宗の享保10(1725)年と翌年、11代将軍家斉の寛政7(1795)年、12代将軍家慶の嘉永2(1849)年の4回行われた。御成道となる水戸街道の江戸川には船橋が架けられた。ただし亀有・新宿間の中川は、享保の鹿狩りの時には亀有溜井の締切堤上を通行した。享保14(1729)年に中川となったため、嘉永時には板橋が架けられた。当日狩場で獲物を取り立てる役目の勢子人足は、武蔵・安房・上総・下総・常陸の各国から集められた。

千代田之御表 松戸宿船橋 楊洲周延(明治30〔1897〕年)

松戸宿側の様子が描かれている。
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人足幟(葛飾区指定有形民俗文化財)

近世後期の上小合村の人足幟で、人足23人と書かれている。
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