葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■江戸東郊としての葛飾 :江戸東郊農村としての葛西

 葛西領は、「葛西三万石」といわれた水田地帯であると同時に、野菜や草花の栽培も盛んに行われ、江戸へ出荷された。米や野菜に肥料として使われたのが、江戸から排出される下肥(人糞)である。江戸市中からの下肥の運搬には運河や河川が利用された。下肥の運搬は富裕な農家の副業として行われ、運搬する船はいくつか種類があったが葛西船と呼ばれた。下肥の値段は、季節によって変動し、春の農繁期には高く夏場は底値であった。中川・江戸川沿いには、下肥を下ろす多くの河岸があり、下肥船は、昭和30年代後半まで存続した。

弘化2(1845)年 定 下小松村の下肥値段一覧表
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江戸名所花暦 木下川薬師
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