葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第2節 中世の葛飾

■関東の戦乱と葛西城 :室町幕府の成立と関東の統治

 暦応元(1338)年、足利尊氏は北朝の光明天皇から征夷大将軍に任じられ、京都に室町幕府を開いた。室町幕府も鎌倉幕府と同様に、諸国に守護・地頭を設置し、地方支配の安定に努めた。さらに、関東や奥州・九州の各地方には統治機関を置いて支配する体制をとった。関東には鎌倉府が置かれ、尊氏の子である足利基氏が首長である鎌倉公方に就いた。鎌倉公方の地位はその後、基氏の子孫によって世襲されていった。また、鎌倉公方を補佐する関東管領を設け、上杉氏が代々世襲注釈1した。鎌倉府の組織は基本的に室町幕府と同様で、その支配下にあったのは10ヵ国注釈2に及び、それらの国の守護は鎌倉に邸宅を持ち、鎌倉府に出仕していた。さらに、鎌倉府は他の地域の統治機関と違い、鎌倉府管内の裁判権や軍事権を持っていたことから、大きな権限があった。また、鎌倉公方は室町幕府の将軍に対して次第に対抗意識を持ち、幕府と対立するようになった。

足利氏系図
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室町幕府の機構
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注釈1:関東管領の任命権は室町幕府が持っていた。
注釈2:鎌倉府が管轄していたのは関東8国(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野)と伊豆・甲斐が基本であった。後には陸奥・出羽や信濃を一時的に支配下においていたこともあった。