葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■平安時代の下総と葛飾 :地方豪族と中央貴族との結び付き

 11世紀に入って間もない長保5(1003)年、下総国府が平維良に焼き討ちされ、官物が強奪されている。維良の乱行は武蔵・上総・下総の3国に及ぶものであったらしい。下総守宮道義行は維良の行為を朝廷に報告し、武蔵守藤原惟風が押領使になっている。惟風も維良の反抗を報告しているが、時の左大臣藤原道長はうやむやにしてしまった。維良も桓武平氏の一族と考えられ、道長に馬を献じるなどして関係を築いていた。維良の父であった兼忠は乱を起こす前に上総介に任じられており、受領国司の子息が横暴な振る舞いに及んだものであろう。この事件の結末は、中央の上級貴族と受領を歴任した中下級貴族の間の臣従関係が、現地において影響したことを示している。

藤原道長(『紫式部日記絵巻』)

右上に描かれている人物が道長。
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