葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■平安時代の下総と葛飾 :俘囚の乱

 下総国内では、9世紀に俘囚の乱が起きている。俘囚とは、7世紀以降の東北の対蝦夷戦争で捕虜になった者、あるいは帰属した蝦夷のことである。俘囚を、坂東をはじめとする各国に移住させて、口分田・食料を支給し、その地において農業などで生計を立てさせていた。しかし、俘囚への支給物や生活習慣などをめぐり、国司やその土地にいる住民との争いへと発展することがあった。 貞観17(875)年に下総国で俘囚が反乱を起こし、良民を殺害している。この時、下総守文室 甘楽麻呂が朝廷に奏上し、朝廷は官兵による鎮圧を指示するとともに、援軍として武蔵・上総・常陸・下野などの国々にも300人を派兵させている。隣国上総では、嘉祥元(848)年、貞観12(870)年、元慶7(883)年にも俘囚の乱が発生している。嘉祥元(848)年は俘囚の丸子廻毛が主導しており、上総の他、下総・相模などの国々にも兵士の動員をかけている。俘囚の反乱に対し、相当数の兵士を動員しなければならない事態になっていたのである。