葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■平安時代の下総と葛飾 :地方軍事貴族の台頭

 こうした争乱の中で、9世紀末から10世紀前半頃より追捕使注釈1・押領使注釈2として中央から派遣された貴族や、任期を終えた国司が帰京せずそのまま現地にとどまる者が増えた。彼らは、貴族としての貴種性を持ち、地域の有力者との婚姻を通し、その地において勢力を伸ばしていった。桓武平氏や秀郷流藤原氏(藤原北家の一流、藤原秀郷の子孫)などがそれにあたり、地方軍事貴族と呼ばれる。時には、利害関係から現任の国司と対立することもあった。
 桓武天皇の曾孫、高望王(平朝臣の姓を得て平高望)は9世紀末に上総介として任地へ向かった後、坂東に留まった。高望には国香・良兼・良将(良持)・良正・良文などの子がおり、上総・下総・常陸などに進出していった。これが桓武平氏と呼ばれる一族である。地方豪族たちとの婚姻関係を通じて、それぞれの豪族の地盤を受け継いでいった。地方軍事貴族同士や地域の有力者と婚姻を結び、勢力を広げていく中で、彼らの間では様々な利害関係が生じ、紛争が絶えなかった。

桓武平氏系図
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注釈1:10世紀前半、瀬戸内海の海賊鎮圧を目的に設けられた。後に諸国に設置されるようになった。
注釈2:9世紀末以降、群盗らを捕えるため諸国に設置された官職。