葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第2節 東京低地の成り立ち

■縄文海進以降の東京低地 :利根川・荒川・渡良瀬川

 約6000年前の縄文海進後、奥東京湾の西の入り江には利根川・荒川が、東の入り江には渡良瀬川が流れていた。
 約2000年前の弥生時代でも、大宮台地の西側に利根川・荒川、東側には渡良瀬川が流れていた。現在の大宮台地西側の低地に残る大きな蛇行跡を持つ自然堤防は、利根川が形成したものである。
 この時期の利根川の跡は、足立区と埼玉県草加市の間を流れている現在の毛長川である。
 約 1500 年前までに、利根川は荒川を離れ、大宮台地北部を埼玉県行田市付近で乗り越えて、渡良瀬川の沖積低地へ流れ込むようになった。
 利根川が流入するようになった中川低地では、排水機能が追い付かなくなり、沼地や湿地ができた。これが解決されるのは、下総台地を切り開いて利根川が常陸川筋に導かれる17世紀半ばのことである。

埼玉県比企郡川島町に残る河道跡
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約6000年前の利根川・荒川・渡良瀬川周辺
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約2000年前の利根川・荒川・渡良瀬川周辺
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約1500年前の利根川・荒川・渡良瀬川周辺
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