葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第2節 現在の葛飾

■安心で健やかに暮らすために(福祉と保健の取り組み) :地域福祉の推進と民生委員・児童委員

 民生委員・児童委員は、戦前から地域の福祉増進のために重要な役割を担ってきた。
 今日の民生委員・児童委員制度の始まりは、大正6(1917)年に岡山県で誕生した「済世顧問制度」で、翌年に大阪府で「方面委員制度」が発足し、その後、全国に普及していった。昭和11(1936)年に「方面委員令」が公布されると、方面委員は全国統一的な制度として運用されていった。
 昭和21(1946)年には「民生委員令」が公布され、方面委員の名称が現在の民生委員に改められた。さらに、翌年の「児童福祉法」公布により、民生委員は児童委員を兼任することとなった。
 民生委員・児童委員の職務は、戦後の復興期を経て、高度成長、安定成長バブル経済とその崩壊から現在へと時代が移り変わる中で、生活困窮者の支援から、ひとり暮らし高齢者やひとり親世帯などの生活上の相談、支援へと拡大していった。
 葛飾区の民生委員・児童委員は、生活困窮者の支援に加えて、時代の変化に対応した新たな活動に取り組んできた。
 平成に入ると、次第に65歳以上のひとり暮らしの高齢者が増加してきた。このため、地域での見守りと安否確認の取り組みを重点的に実施している。また、全国的に児童虐待が問題となる中、児童虐待を未然に防ぐ取り組みも行ってきた。平成17(2005)年から開始した児童の登下校時の見守りパトロールは、地域に根差した先進的な取り組みとして全国的にも注目された。さらに近年では、災害時の避難や避難生活などにおいて、支援を要する高齢者や障害者などに対する役割を明確にするなど、活動の幅は広がっている。

葛飾区のひとり暮らし高齢者(平成10〔1998〕〜平成26〔2014〕年度)
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民生委員・児童委員の活動(平成24〔2012〕年)
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