葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第2節 現在の葛飾

■安心で健やかに暮らすために(福祉と保健の取り組み) :広がる障害者福祉

 東京都から事務移管が行われた昭和40(1965)年当時の葛飾区内の障害者施設は、昭和38(1963)年に開設した東京都葛飾児童学園注釈1-1 だけであり、引き続き東京都が運営した。その後、昭和45(1970)年には東京都立心身障害者福祉作業所を開設した。
 葛飾区が初めて運営した障害者施設は、昭和52(1977)年に開設した葛飾区心身障害者福祉会館注釈1-2で、障害者の相談・訓練、乳幼児の通所訓練などを行っていた。昭和55(1980)年には、東京都の施設が区に移管され、東京都葛飾児童学園が葛飾区生活実習所(現水元そよかぜ園)に、東京都立心身障害者福祉作業所が葛飾区福祉作業所(現きね川福祉作業所)になった。平成に入ると、区は作業訓練などを行う通所型の障害者施設を次々と開設していった。
 一方、民間の団体においても在宅の障害者が作業・生活訓練を行う取り組みが進められた。昭和33(1958)年に桐友教育研究所(現社会福祉法人原町成年寮)、昭和36(1961)年に葛飾区手をつなぐ親の会 、昭和46(1971)年に葛飾幼児グループ(現NPO法人葛飾幼児グループ)、昭和53(1978)年にかつしか障害者共同作業所(現社会福祉法人かがやけ福祉会)などの団体が誕生した。
 平成15(2003)年、障害者福祉は転換期を迎えた。葛飾区の障害者福祉は給付と措置を中心に事業を展開してきたが、国による「支援費制度」が導入され、障害者自らが事業者との対等な関係に基づき、事業者との契約に基づいてサービスを利用できるようになり、障害者福祉は、措置から契約へと大きく転換したのである。
 平成16(2004)年からは、葛飾区立の障害者施設を社会福祉法人に無償で貸し付け、事業の移管を行った。
 さらに、平成18(2006)年には「障害者自立支援法」(現「障害者総合支援法」)が施行され、「支援費制度」の理念を継承しつつ、障害の種別(身体・知的・精神)に対するサービスを一元化し、障害程度区分(現障害支援区分)の導入、実施主体の市町村への一元化、利用者負担の見直し、相談支援体制の強化などが行われた。
 この他、平成7(1995)年に国が策定した「障害者プラン」注釈2により、福祉をはじめ保健、防災、まちづくり、文化や教育などの施策でノーマライゼーションの理念の実現に向けた取り組みが行われてきた。葛飾区内では施設のバリアフリー化が進み、歩道の段差解消や駅へのエレベーターの設置が行われた。

障害者通所施設
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注釈1-1:障害を持つ就学猶予・免除児童を対象とした。昭和55(1980)年廃止。
注釈1-2:昭和52(1977)年2月に開設、平成17(2005)年3月廃止。事業は葛飾区障害者福祉センター(ウェルピアかつしか内)に引き継がれた。
注釈2:リハビリテーションの理念とノーマライゼーションの理念を踏まえ、①地域で共に生活する、②社会的自立の促進、③バリアフリー化の促進、④生活の質の向上、⑤安全な暮らしの確保、⑥心のバリアの除去、7国際協力・国際交流の推進、といった7つの視点から障害者施策の重点的な推進を図る国の計画。平成7(1995)年12月に障害者対策推進本部(現障害者施策推進本部)が策定した。