葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■街並みの変化と工業の振興 :都営住宅の建設

 戦災による住宅の喪失と人口増加は、東京都の区部における住宅不足を招いた。このため、東京都は農地が広がっていた葛飾区に都営住宅の建設用地を求めた。昭和24(1949)年の『葛飾区政ニュース(』現『広報かつしか』)では、建設用地として農地などを提供するよう広く区民に呼び掛けを行った注釈1。地主から土地の提供を受け、昭和25(1950)年には青戸などに木造の都営住宅が建設された。

昭和7(1932)年の葛飾区域

白い部分は農地、黒い部分は宅地化が進んだ地域。荒川放水路(現荒川)沿いや鉄道駅周辺の地域を除いて農地が広がっていた。
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昭和29(1954)年の葛飾区

宅地化や道路の整備により、農地が減少した。
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注釈1:「地主さんにお願ひ 都営住宅敷地提供を!」『葛飾区政ニュース』第23号、葛飾区役所、昭和24(1949)年。