葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■金町浄水場の設置 :葛飾区への給水

 金町に浄水場の建設計画が進められていたころ、葛飾区域は大半が農村部で、農家では井戸水を使用していた。また、新たに開かれた住宅地では井戸水道などと呼ばれる私設水道を利用していた。
 そのため、当初葛飾区域の町村は江戸川上水町村組合に加入しておらず、近代的な上水道の恩恵に浴することはなかった。しかし、昭和に入ると次第に市街地が形成されるようになり、昭和8(1933)年6月に本田地区に給水が始まったのを皮切りに金町浄水場からの給水が始まった。
 昭和25(1950)年度には葛飾区内の給水戸数は5万4000軒を超え、その後も増加していった。市街地に比べると農村地帯は水道の敷設が遅れ、上千葉(現西亀有・お花茶屋)の農家では昭和30年代に行われた区画整理によってようやく水道管が設けられた家もある。金町では、昭和初期に造られた住宅地の一部にも昭和 30 年代まで水道が引かれず、井戸もないことから近隣の工場に毎日水をもらいに行っていた場所も存在した。区内全域に浄水場からの給水が及んだのは昭和48(1973)年であった。

浄水場付近 平面図
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