葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■関東大震災とその後 :被害概要

 大正12(1923)年9月1日午前11時58分に相模湾北西部の深さ23㎞を震源とするマグニチュード7.9、最大震度7とする関東大震災が起こった。死者10万5385人、家屋全壊10万9000余棟・半壊10万2000余棟、津波による消失44万7000余棟・流失868棟、火災による焼失21万2000余棟(全半壊後の焼失を含む)という甚大な被害が出た。
 神奈川県西部及び千葉県の房総地域では、地震とその直後の大雨により、崩壊・地すべり・土石流などによる土砂災害が多数発生した。東京湾岸部の干拓地や埋め立て地、相模川、荒川や古利根川などの河川沿いの低地で地盤の液状化が起こり、地盤の陥没や地割れ・建物の沈下・傾斜・地下水や砂の噴出などの現象が起こった。
 津波は、相模湾周辺と房総半島の南端で最大高さ12m(熱海)、9m(館山)に達したが、元禄地震(元禄16〔1703〕年)や安政東海地震(安政元〔1854〕年)の津波による災害経験が生かされ、地震直後の適切な避難行動により人的被害が最小限に食い止められた地域もあった。
 東京市の本所被服廠跡地(現墨田区横網)では、集まっていた多くの人が火災にのみこまれる悲劇があり、原因は火災旋風であった。神奈川県横浜市においても市街地全域が焼失し、石油タンクの火災は12日間も続いた。

震度分布と旧河川流路
戻る時は右上の×をクリックしてください

液状化発生地点
戻る時は右上の×をクリックしてください

東京府下葛西付近の惨状(絵葉書)
戻る時は右上の×をクリックしてください