葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■金町浄水場の設置 :金町浄水場の設置計画

 大正8(1919)年、農村から工業地帯へ変わりつつあった南葛飾郡域、北豊島郡域や南足立郡域の12の町村(小松川町・砂村・大島町・亀戸町・吾嬬町・寺島村・隅田村・千住町・南千住町・三河島村・日暮里町・尾久村)は、飲用水の調達のため近代的な上水道の設置を目指し、東京府江戸川上水町村組合を結成した。
 東京の下町は総じて飲用水の調達に苦しんでいて、「水売り」と呼ばれる業者が江戸川などの水を売りに来ていた。さらに上水道は飲用水として使われるだけでなく防火用としても必要であった。関東大震災の大規模火災を目の当たりにした東京の下町の人達は、いっそう上水道を求めていた。
 検討の結果、江戸川流域の金町に浄水場の建設が計画された。金町を取水地とした理由は、この付近の江戸川の水質が良好で、金町より下流では農業用水の需要が少ないことであった。
 浄水場の建設には当初の見込みをはるかに超える経費がかかることが工事途中に判明したが、事業の推進に理解を示した安田銀行を始めとする当時の金融機関が多額の融資をし、大正 15(1926)年8月1日に一般家庭に給水が開始され、10月10日には竣工式が行われた。

浄水場正門(大正15〔1926〕年)
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水道施設設置前の様子(大正11〔1922〕年)
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浄水場全景(大正15〔1926〕年)
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