葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■関東大震災とその後 :南葛飾郡の被害

 現在の葛飾・足立区の境界である古隅田川沿いでは、液状化が発生した。古隅田川周辺は、 縄文海進以降の陸化作用によって東西に砂州が形成された地点であり、中世には武蔵国と下総国の境界を流れる利根川の本流で、顕著な自然堤防が形成され、砂層が厚く堆積している。古隅田川は、地震当時川幅2.5〜3.0m の小さな河川であった。
 南葛飾郡南綾瀬村柳原(現足立区柳原1丁目)一帯、小菅刑務所(現東京拘置所)や南葛飾郡亀青村砂原(現西亀有4丁目)では、液状化の発生を物語る地震体験者の証言がある。
 この震災の教訓を受け、大正14(1925)年に堅固に建設されたのが、水元小学校の旧校舎である。

南綾瀬村の被害
戻る時は右上の×をクリックしてください

南葛飾郡(現葛飾区域)の被害一覧
戻る時は右上の×をクリックしてください