葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第2節 中世の葛飾

■中世の葛飾の暮らしと交通 :陸上交通と葛西新宿の整備

 16世紀半ばには、北条氏が上杉氏から葛西城を奪い取った後、葛西城を改修するとともに、古利根川を挟んだ対岸に宿場である葛西新宿を整備した。葛西新宿が史料に現れるのは永禄11(1568)年が最初であるが、その頃にはすでに整備されていたとみられる。天正10(1582)年の伝馬手形には、江戸から浅草・葛西新宿・臼井(千葉県佐倉市)までの交通が記されており、小田原から江戸を経由して下総の内陸部へと結ぶ北条氏の陸上交通拠点の1つとして葛西新宿が機能していたことがわかる。
 また葛西新宿は、東西に街道、南北に河川が走って交差しており、陸上交通と河川交通の交わる交通拠点でもあった。北条氏に関する史料の中に、葛西と浅草に船橋を架けることを命じたものがある。船橋は葛西城と葛西新宿の間を流れる古利根川に架けられ、普段は陸上交通と渡河の便を図り、戦時には船橋を撤去して交通を断つつもりであったと考えられる。

葛西城・葛西新宿位置図

葛西城と葛西新宿の間にある古利根川には、舟をつないでつくった船橋がかかっていたと考えられている。
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