葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■東京低地の陸地化と集落の形成 :東京低地に人が住み始めた頃

 東京低地は弥生時代末期から古墳時代前期に人が住める環境となった。この時期に複数の集落が成立している。
 隅田川沿いの自然堤防では、台東区駒形遺跡、荒川区町屋四丁目実揚遺跡などでも古墳時代前期の土器が出土しており、人の活動が可能な環境になりつつあったことがうかがえる。町屋四丁目実揚遺跡では数地点で発掘調査が実施され、溝・井戸・土坑注釈1などの遺構が検出されている。
 東京低地北部から荒川低地にかけての地域でも、集落が形成されてくるのは古墳時代前期になってからである。毛長川右岸では足立区伊興遺跡、舎人遺跡、川口市三ツ和遺跡、左岸の草加市蜻蛉遺跡などで集落が形成されている。
 東京低地東部では葛飾区御殿山遺跡や江戸川区上小岩遺跡などにおいて、古墳時代の遺構や遺物がみられる。毛長川沿いや武蔵野台地沿いの沖積地に比べると遺跡数は少ない。遺跡が点在する様子は、安定した微高地は少なく、住める土地は限られていたことを示している。
 このように、東京低地の遺跡が河川沿いの自然堤防上に立地するという共通点は、暮らしに適した場所が安定した微高地であったことに加え、河川を意識していたと考えられる。河川を使った水上交通が関わっていたとみてよい。伊興遺跡で木製舟形が出土していることからも、この低地帯での移動手段に水運は欠かせないものであったと考えられる。集落遺跡の場所を見ると、河川沿いの安定した微高地に形成されている。

東京低地の古墳時代前期の遺跡
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注釈1:発掘調査で見つかる地面を円形や楕円形状に掘られた穴の痕跡。用途は廃棄穴・貯蔵穴など様々であり、性格不明のものも多い。