第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)
第1節 古代の葛飾
■東京低地の陸地化と集落の形成 :古墳の造営
柴又には古墳の存在が確認される。柴又八幡神社古墳である。土を積み上げて造られた墳丘の上部は削られて平らになっているが、古墳の周囲に巡らされた溝である周溝は残っていた。古墳が造られた時期は、出土した須恵器などの土器から6世紀後半と推定される。この古墳では、人物や動物の形象埴輪、円筒埴輪、直刀、馬具などが出土しており、この地域を開発した集団の有力者が埋葬されたと考えられる。円筒埴輪は下総型埴輪と呼ばれる千葉県北部に特有のものが用いられている。
立石にもかつて古墳が存在した。古墳の墳丘は都市化の波で失われてしまったが、円筒埴輪や人物埴輪が出土している。また、直径20m弱の周溝が検出され、小規模な円墳であったと推定される。立石には古墳時代後期の集落を示す遺構がほとんどないことから、奥戸地区の集落の有力者が埋葬されている可能性もある。古墳の造営は、6世紀後半に王権との関連のもとで集落が展開したことに対応する。
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