葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■古代葛飾の人々の暮らし :『延喜式』にある下総国の貢納品

 古代律令国家は国ごとに調や 中 男作物注釈1などの形で各地域の特産品を収取する体制をとっていた。平安時代に入ると、調や中男作物以外にも年料別貢雑物注釈2や交易雑物注釈3など様々な形で収取された。『延喜式』には、下総国から納められていた品目についての記載がある。まず調には絁注釈4・糸・布があり、中男作物には麻・熟麻・紙・紅花があった。交易雑物には、布や鹿革などの革・紫草・酒や菓子などを盛る器があり、年料別貢雑物には筆・牧 牛 皮・牛角・麻の実があった。さらに古代の乳製品である蘇や薬草などの薬の原料、馬や牛、 甲 ・刀・弓矢などの武具が下総国からは納められることになっていた。




注釈1:中男は養老令に規定された17歳から20歳以下の男子のことを指す。大宝令では少丁と言った。天平宝字元 (757) 年に18歳以上21歳以下に変更される。中男作物は中男に課された税で、毎年雑徭によって中央官司や貴族に必要な物資を調達した。
注釈2:筆や紙などを諸国に毎年一定量貢納させる制度。
注釈3:中央官司の需要に応じて、諸国が正税を利用して物品を購入して進上する制度。
注釈4:荒い絹糸で平織りにした絹織物。