葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第3節 東京低地と利根川の改変

■新中川(中川放水路)の開削  :新中川(中川放水路)の開削

 昭和13(1938)年は、4月に高潮・暴風雨、6月に梅雨と台風、7月に豪雨、9・10月に台風と、風水害が相次いだ。既に東京低地では西の荒川放水路、東に江戸川放水路が完成していたが、かつての利根川の河道の1つであり、九十九 曲の異名を持つ中川は各所で堤防が切れ、6月の水害では浸水家屋は15万戸に及んだ。このため、「中川綾瀬川芝川総合改修計画」により、葛飾区高砂から江戸川区今井まで約8㎞の放水路が計画されたが、第2次世界大戦のため中断された。昭和22(1947)年9月のカスリーン台風を経て、昭和24(1949)年に工事が再開され、昭和38(1963)年3月ついに放水路が完成した。
 用地買収は、葛飾・江戸川の両区で約40万坪に及んだ。放水路延長は8089m、河川敷幅148m、公道橋16橋、鉄道橋2橋、水門1カ所、伏越注釈13カ所や排水場4カ所が新設あるいは改築された。葛飾区に関わる橋は、高砂諏訪橋・細田橋・三和橋・八剣橋・奥戸新橋の5橋である。
 江戸川区にある下流の今井水門は、東京湾から江戸川の河口をさかのぼって押し寄せる高潮対策のための水門である。
 葛飾区内では同様に、荒川放水路開削に伴って平行して開削された新中川と綾瀬川の合流点に昭和44(1969)年に上平井水門が設置された。

空からみた中川放水路
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開削予定地域

赤色部分が開削予定地である。
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注釈1:道路が川床よりも下を横断する構造。