葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■安定成長時代の工業と商業 :葛飾区内産業の振興

 昭和60(1985)年10月、葛飾区総合スポーツセンターで「第1回葛飾区産業展」が2日間にわたり開催された。工業・商業・農業に観光と伝統工芸を含む、区内産業の振興を目的とした催しは、多くの来場者でにぎわった。
 3年後の昭和63(1988)年には、葛飾区内の産業振興と活性化の拠点となる葛飾区地域産業振興会館(テクノプラザかつしか)を建設し、「中小企業融資のあっせん・経営・下請・受発注のあっせん・相談」をはじめとする区の各種産業振興施策を展開した。また、葛飾区産業展も第4回からは「葛飾区産業フェア」と名称を変え、工業・伝統工芸展と商業・農業・観光展に分けて、葛飾区地域産業振興会館で開催した。
 一方、工場や商店でもこの時代を乗り切る努力を重ねてきた。工業分野では新たな製品開発するために各工場が持つ優れた技術を組み合わせる異業種との交流を進め、商店では大勢の人が葛飾区内外から訪れる「葛飾菖蒲まつり」などのイベントへの出店を行った。
 葛飾区と二人三脚で振興に取り組んできた工業や商業だが、2度にわたる石油危機と経済の安定成長は、10人未満の工場と5人未満の商店が大半を占める区の工業、商業にとってはとりわけ厳しい時代であった。

商店街の様子(昭和50~60年代)
戻る時は右上の×をクリックしてください

葛飾区産業フェア(旧葛飾区産業展)
戻る時は右上の×をクリックしてください