葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■自治権の拡充と計画的なまちづくり :下水道の整備

 昭和40年代後半から開始され、区民の生活環境の改善に大きな影響を与えた事業が下水道整備である。下水道が整備される以前の葛飾区では、用水路に生活排水が流れ込み、悪臭や蚊・ハエを発生させていたほか、幼児が転落する事故も起こるなど環境・衛生・安全面が問題となっていた。また、低地帯であるため、大雨が降れば各地で浸水被害が起きる状況にあり、下水道の早期普及が大きな課題となっていた。
 葛飾区の下水道事業 は、昭和48(1973)年6月の小菅処理場(現小菅水再生センター)の一部稼働に伴い、小菅・堀切地区の下水道管の設置工事に着手し下水道普及率は1%となった。しかし、同年度の東京都区部の普及率は 58%となっており、区の整備状況は著しく遅れていた。その後、東京都と区が一体となって下水道整備を推進した結果、昭和59(1984)年度に50%を超える普及率となり、事業開始から23年目となる平成7(1995)年度には普及率概成注釈1 100%を達成した。
 また、下水道の普及により不要となった用水路は、順次埋め立てられて歩道や通路として整備されるとともに、その一部は親水公園や緑道・コミュニティ道路に生まれ変わり、まちに潤いと安らぎを与える空間が各地に誕生した。

曳舟川(昭和63〔1988〕年頃)
戻る時は右上の×をクリックしてください

曳舟川親水公園

水をテーマとした公園に生まれ変わった。平成2(1990)年5月開園。
戻る時は右上の×をクリックしてください

下水道普及率の推移(昭和48〔1973〕〜平成7〔1995〕年度)
戻る時は右上の×をクリックしてください




注釈1:99.5%以上のこと。