葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■経済の安定成長からバブル経済へ :石油危機と経済の安定成長への移行

 昭和48(1973)年、第4次中東戦争の勃発をきっかけとして第1次石油危機注釈1が起きた。当時の日本は、前年に発表された『日本列島改造論』注釈2の影響により地価や物価が上昇していた。そこに石油危機による物価の高騰が重なったことで、昭和49(1974)年の全国消費者物価指数注釈3は全国平均で対前年比23.2%上昇し、東京区部でも21.2%の上昇となり、「狂乱物価」といわれた。
 物価の高騰や商品の買い占めによる品不足は、消費者に不安と混乱を与えた。洗剤、トイレットペーパーや砂糖などの日用品はスーパーや小売店の棚から姿を消し、店頭に並べばすぐに売り切れる状態が続いた。これにより、日本は不況でありながら物価が上昇するスタグフレーションという状態に陥り、昭和49(1974)年の経済成長率は戦後初のマイナス成長となった。
 昭和50(1975)年になると経済成長率はプラスに転じたが、昭和54(1979)年にはイラン革命に起因する第2次石油危機注釈4が起きた。翌年の灯油の消費者物価指数は全国平均で対前年比64.3%、東京区部でも63.5%と大幅に上昇した。
 高度成長期の実質経済成長率は年平均10%前後であったが、第1次石油危機の後からバブル経済と呼ばれる好景気が訪れる前の昭和60(1985)年までは年平均5%以下へと低下した。こうして高度成長は終焉し、安定成長の時代を迎えることになった。

『日本列島改造論』

田中角栄が首相に就任する直前、昭和47(1972)年6月に刊行され、同年中だけで80万部を売るベストセラーとなった。
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第1次石油危機の時の買いあさりによる混乱(昭和48〔1973〕年)
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注釈1:石油輸出国機構(OPEC)による原油値上げやアラブ石油輸出国機構(OAPEC)がイスラエル支援国への石油輸出を禁止したことなどにより、原油価格や物価が高騰したために引き起こされた経済的な混乱のこと。
注釈2:工場の再配置や交通、情報通信を都市から地方へ分散させることで過密、過疎や公害などの問題を解決するという考えで、全国的な開発・投資が進む「列島改造ブーム」を巻き起こした。
注釈3:ある時点の世帯の消費構造を基準に、これと同等のものを購入した場合に必要な費用がどのように変動したかを示す指数。
注釈4:昭和54(1979)年のイラン革命に伴ってイランでの石油生産が中断し、供給不足が生じたため原油価格が高騰し、それによって物価も高騰するなどした経済的な混乱のこと。