第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)
第3節 近世の葛飾
■葛飾の名所と行楽地 :江戸東郊と花文化
享保20(1735)年『続江戸砂子』所収の「四時遊覧」にみる江戸周辺の花名所は30カ所あった。葛西領では亀戸梅屋敷(江東区)があげられている。文政10(1827)年の『江戸名所花暦』では、140カ所に増え、うち葛西領は約20カ所となる。葛飾区域では、木下川薬師の牡丹・杜若で「木下川薬師の池 亀戸のさきに在、池中ハ一面紫にして、そのなかへ八ッ橋をかけわたし、往来をなさしむ、さかりの頃は、文人墨客是に遊ふ」と書かれている。
葛西領が花の名所である様子は、寛政6(1794)年に古川古松軒による『四神地名録』の篠原村の項に「此近郷は菊を第一とし、牡若・あやめ・花菖蒲、いろいろの草花かぎりなき事にて、花園をめぐること目をよろこばせし事」と記されている。天保7(1836)年の「江戸名所図会」には、「葛西の辺ハ、人家の後園あるハ、圃畔にも悉く四季の草花を栽並はへるかゆゑに、芳香常に馥郁たり、土人開花の時を待得てこれを刈取、大江戸の市街なる花戸に出して鬻事もっとも夥し」と花作りの盛んな様子が描かれている。
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