葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾の名所と行楽地 :行楽地としての葛西領

 葛西領は、江戸後期には拡大する江戸の東郊の行楽の場として、観光を兼ねた寺社参詣が行われた。18世紀以降には四ツ木街道沿いの古上水堀や中井堀でも曳舟が行われ、木下川薬師(浄光寺)、金町の半田稲荷・香取宮(現葛西神社)、柴又帝釈天(題経寺)、飯塚の夕顔観音などへの参詣が盛んだった。また、幕末期には12代将軍徳川家慶が、鷹狩りの際に立ち寄った堀切村の花菖蒲が新名所として話題になり、後に日本初の観光花菖蒲園発祥の地となる。
 『遊歴雑記』を著した十方庵敬順は、葛西の見どころを「その路すがら平原あり耕地あり引舟などありて、鄙びたるも一興にして面白く、花に弄し野鳥になぐさみ、摘草に憂をはらし心身をたのしみ誘引つゝ行人多し」、また「此金町村の往来ハ隅田 堤 まで舟あり、又四木村より弐拾六町の間浅き細川の引舟あり、千住よりハ馬竹輿ありて、婦人の徒もろもろの摘草して野外の風景を愛し逍遥するにハ第一ばんたり」と述べている。
 武蔵・下総・下野・上野の4カ国を描いた刷物を見ると、葛飾区域に該当する地名には西葛西領で木下川・四ツ木・亀有、東葛西領で新宿・柴又・猿ヶ股がある。当時江戸から出向く際に、知られていた地名といえる。

武蔵下総下野上野四ケ国神社仏閣名所川々道順案内(刷物)
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