子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第7節 明治時代

■特集 洪水を防ぐ2つの放水路 :

中川放水路の工事
 1938(昭和13)年は、洪水による被害が多い年でした。特に6月の水害では、曲がりくねって流れる中川のところどころで堤防がこわれ、多くの家が水びたしになりました。
 そこで、大雨などによって中川の水があふれて洪水にならないようにするために中川放水路がつくられました。現在の新中川です。1938(昭和13)年に計画されて工事が始まりましたが、戦争で一時中断されました。1947(昭和22)年のカスリーン台風による大雨で洪水の被害が出たことなどから工事を再開し、1963(昭和38)年に完成しました。

1938(昭和13)年の洪水

本田町(現在の四つ木・東四つ木・立石)の様子です。
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中川放水路(新中川)の工事

高砂付近での工事の様子です。
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中川放水路完成前後の地図
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