第2章 葛飾の歴史
第8節 大正時代
■関東で大地震が発生 :
1923(大正12)年9月1日、午前11時58分に関東大震災が発生しました。そのとき葛飾はどのような状況だったのでしょうか。
火災が多かった関東大震災
関東大震災は、最大震度7のとても大きな地震で、死者10万人をこえる被害がありました。地震が発生したのがお昼どきで、料理をつくるために火を使っている家が多く、火事がたくさん発生しました。死亡の理由は、火事による人が約9割と圧倒的に多かったのです。
葛飾の被害状況と救護活動
葛飾の被害は、「大正震災志」によると死者6人、負傷者115人、全壊家屋が約60棟ありました。また、現在の葛飾区と足立区の境にある古隅田川沿いでは地盤が液体状になる液状化現象も発生しました。
当時の葛飾は農村地帯で田んぼや畑が多く、外で作業をしている人も多くいたので、他の地域とくらべて被害は少なくてすみました。このため、被害が大きかった現在の墨田区や江東区などから多くの被災者が葛飾へ避難してきました。そこで、9月1日に亀青小学校や寺院などを開放して避難所にしました。また、翌日からは役場などで炊き出しもはじめ、その後も、食べものや衣類を避難してきた人に配るなど、被災者の救護を行いました。