子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第7節 明治時代

■特集 洪水を防ぐ2つの放水路 :

(人物クローズアップ)
青山 士 1878(明治11)~1963(昭和38)年
 荒川放水路の工事を指揮した人です。大学卒業後、パナマ運河をつくる工事に日本人でただ1人参加しました。太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河は、人工的につくられた水路で、当時、世界最大規模の工事でした。  帰国後、荒川放水路の工事で最も難しいといわれた岩淵水門(現在の北区)の設計・工事を行い、1918(大正7)年には荒川放水路工事の最高責任者となりました。

青山士
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移転した人や文化財
 荒川放水路は、なるべく住んでいる人に迷惑がかからないように計画されましたが、それでも1300世帯の人が水害からまちを守るために住む場所を移らなければなりませんでした。鉄道や神社、寺院も移転しました。
 東四つ木にある浄光寺(木下川薬師)も、放水路の工事により現在の場所に移ったのです。

建物の移動

曳屋という方法によって建物をこわさず、そのまま移動させることもありました。
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